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「スポーツの感動が未来をひらく」―。
アミューズメント事業などを展開するネクサス(高崎市島野町)が、スポーツに情熱を注ぐ人々の思いを伝えるシリーズ企画。
「ネクサス スポーツ・フューチャー」。
4回目は夢の実現に向けて挑戦を続けるアスリートや文化振興の活動を支援する「公益財団法人 NEXUSスポーツ振興財団」を紹介する。

2023年10月1日公開 Vol.4

ネクサススポーツ機関紙、ネクサスフューチャーvol4表紙

レーシングカーのカラー写真

アスリートの夢を応援

〜 文化振興とスポーツの普及で群馬に活力 〜

 「スポーツが生み出す喜びと感動の力が人と人との絆、地域社会との絆を育み、健全で豊かな社会づくりに貢献できる」。NEXUSスポーツ振興財団はこの理念を掲げ、2019年に設立された。
 これまでに42人、5団体の活動を資金面で支援。世界を転戦するアスリートから次世代のスポーツ界を担うジュニア選手、第一線で活躍するパラアスリートら多様な分野の人たちが助成を受けて活躍の場を広げている。
 助成対象は、①スポーツの普及・振興に対する支援②将来性豊かなスポーツ選手等の支援③群馬県における地域の文化振興とスポーツの3部門がある。世界大会での活躍を目指す選手を支援する①で助成を受けた車いすテニス選手の城智哉さん(23年度助成)は、世界のトップレベルでの活躍を目指し、海外を転戦。外国の強豪選手との試合を重ねて腕を磨いている。
 ②は将来を嘱望されるジュニア選手を支援。フィギュアスケート選手の島田麻央さん(21年度助成)は今年3月の世界ジュニア選手権を14歳4カ月の日本人最年少で制するなど、日本フィギュア界の新星として注目されている。
 本県のアスリートを支える③では、育英大のレスリング選手、桜井つぐみさん(22年度助成)が活躍。9月の世界選手権で優勝し、夢の実現に向けて突き進んでいる。スポーツだけでなく、本県の文化・芸術活動の振興にも力を入れる。声楽家・指揮者として本県を拠点に活動する猿谷友規さん(23年度助成)は、演奏会や音楽教室などを通じて本県の音楽文化発展に努めている。

ジャンプしているスキープレイヤー フィギアスケート競技中の男女
レスリング選手「桜井 つぐみ」の競技風景
緑色のリボン①

群馬のスポーツ振興 (レスリング)

桜井 つぐみさん

◆世界で戦える体に

パーソナルジムでのトレーニングに助成を活用させていただきました。力負けしない体づくりが課題でしたが、専門家の指導を受けて世界でも戦える体になってきたと成長を感じています。競技に集中できるのもサポートのおかげ。感謝の気持ちを持って、結果で恩返ししたいです。

レスリング選手「桜井 つぐみ」の競技風景
緑色のリボン①

群馬の文化振興 (声楽家、指揮者)

猿谷 友規さん

◆音楽で群馬に貢献

歌唱技術向上のため、素晴らしい演奏家の下で研さんを積ませていただいております。また、人間の声と楽器の相性について新しい試みをするため、楽器の購入に活用させていただきました。研さんの成果を生かし、地元群馬の役に立てるような人材となるように努めていきたいです。

レスリング選手「桜井 つぐみ」の競技風景
緑色のリボン①

次世代支援 (フィギュアスケート)

島田 麻央さん

◆素敵な衣装に感謝

振付費用やスケート靴の購入などに活用したほか、ショート、フリーの衣装を制作させていただきました。衣装はフィギュアスケートではとても大切です。曲に合った素敵な衣装を制作することができて感謝しています。国際大会で活躍し、将来は日本を代表する選手になりたいです。

スポーツや地域文化の普及・振興を目的に設立された公益財団法人

◆募集部門◆

  • スポーツの普及・振興に対する支援

    助成対象:
    ①国際大会等を目指すスポーツ選手で、JSCおよびJPSAからの助成を受けていない選手
    ②スポーツの普及を目的とした活動を推進する団体
  • 将来性豊かなスポーツ選手等の支援

    助成対象:
    将来を有望視されるジュニアスポーツ選手及びジュニアスポーツの普及を目的とした活動を推進する団体
    対象年齢は、助成対象年度末時点で18歳以下であることが求められます
  • 群馬県における地域の文化振興とスポーツ

    助成対象:
    ①群馬県内で地域文化振興に関する事業を積極的に行っている個人及び団体
    ②群馬県内で国際大会等を目指すスポーツ選手及び選手の育成、スポーツの普及を目的とした活動を推進する団体
  • ◆助成内容◆

    3部門とも助成額の上限は1件当たり100万円。
    活動に関係する経費が対象で、具体的には大会経費や遠征費、講習会費、用具代、文化振興のための施設利用費などが該当する

  • ◆募集期間◆

    24年度(第5期)は11月1日~12月31日。
    希望者は財団の公式HPから申請用紙をダウンロードし、必要事項を記入の上、財団事務局へ送付ください。
    〒370-0015 群馬県高崎市島野町212-1

'vol1'のテキストタイトル文字
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「スポーツの感動が未来を拓(ひら)く」―。
アミューズメント事業などを展開するネクサス(高崎市島野町)が、スポーツに情熱を注ぐ人々の思いを伝えるシリーズ企画「ネクサス スポーツ・フューチャー」。3回目は、ネクサスの社員として働きながらスポーツにも打ち込む女性3人にフォーカスした。

2023年8月6日公開 Vol.3

ネクサススポーツ機関紙スポーツフューチャーのVOL.3表紙

並んだ3人の女性スポーツ選手
グラウンドでボールを追う女性サッカー選手

◎塩谷 瑠南さん(2022年入社)
スポレッシュ高崎インター店
サッカー


恵まれた環境に充実感
ネクサスで働きながら、サッカー選手としても活動しています。入社して2年目ですが、スポーツ好きの方が多い職場で、サッカーをやってきた自分に合っている仕事だと思います。
学生時代はアルバイト経験がなく、初めての仕事に不安もありましたが、先輩スタッフが優しくサポートしてくれます。試合や練習時間を配慮してシフト勤務を調整してくれて、ほかの企業で働く友人の話を聞いても、恵まれた環境だと感じます。

会員との交流がモチベーション
現在は、受け付けでの入会手続きやトレーニング機器の説明などを担当しています。仕事を通じて最も成長できたのはコミュニケーション能力です。当初は接客業がきちんと務まるか不安もありましたが、スポーツの話題で積極的に会話できるようになりました。会員さんの中には、実際に試合会場に足を運んで観戦してくれた人もいてうれしかったです。
気にかけてくれる人がいることが、サッカーに取り組むモチベーションにつながっています。今後は、トレーニングや食事の知識をもっと勉強して、会員さんから頼られるスタッフに成長していきたいです。

プロサッカー選手を目指して
サッカーでの目標は、プロリーグであるWEリーグでプロ選手として活躍することです。夢の実現のため、チームの順位はもちろん、得点王といった個人タイトルを獲得できるよう、結果にこだわっていきたいです。
 ユニホームにネクサスの名前を背負って戦っているわけではないですが、試合で活躍して自分の名前が新聞やSNSに載ることで、ネクサスの社員が頑張っていることを伝えられます。サッカーを通して少しでも会社に貢献していきたいです。

座って笑うプライベートの女性サッカー選手
'塩谷 瑠南'のイメージ写真

塩谷 瑠南

しおや・るな 1999年9月、太田市生まれ。前橋育英高―東洋大卒。2022年にバニーズ群馬FCホワイトスターに加入。高校では全日本高校女子選手権に3年連続で出場。

赤いリボン
競技中の重量挙げ女性選手

◎原 沙織さん(2023年入社)
スポレッシュ高崎インター店
重量挙げ


競技経験が役立つ
大学卒業後は群馬に戻って重量挙げを続けたいと思っていました。元々スポーツに関わる仕事をしたいと考えていたので、スポレッシュでの仕事はやりがいを感じています。
中学から重量挙げを続け、筋力トレーニングをはじめ、さまざまなトレーニングの知識や経験があるので、仕事でも役立っています。

頼られるスタッフに
仕事は受け付けでのフロント業務が主ですが、初めてスポレッシュを利用する方に施設の案内をする機会もあります。元々、人見知りな性格ですが、お客さんが私の話にうなずいてくれたり、説明が上手に伝わったりすると、とてもうれしく自信になります。会員さんも気さくな方が多いので、今では会話をするのが楽しみになるほど成長できたと思います。会員さんから頼られるスタッフになるだけでなく、先輩や将来の後輩から「原さんなら安心して仕事を任せられる」と思ってもらえるよう、日々成長していきたいです。

夢は全日本チャンピオン
競技では、全日本チャンピオンになることが目標です。今年2月に右肩の手術をして現在は本格的な練習ができていませんが、秋に復帰できるようにリハビリに励んでいます。復帰戦になる来年5月の全日本選手権では、まず表彰台を狙えるように、感覚を取り戻していきたいと思います。
ネクサスで競技を頑張ることで、群馬でもスポーツに打ち込める場所があるということを伝えていきたいと考えています。重量挙げは競技人口が多くないですが、私が活躍することで、「競技をやってみよう」と思ってもらえるように少しでも魅力を伝えていきたいです。

座って笑う重量挙げ女性選手
'原 沙織'のイメージ写真

原 沙織

はら・さおり 2000年8月、玉村町生まれ。前橋育英高―早稲田大卒。大学1年時に世界ジュニア選手権出場。22年の全日本学生選抜55㌔級、全日本学生個人選手権55㌔級をともに大会新記録で制した。

赤いリボン
胸でバーベルを支える重量挙げ女性選手

◎阿部 美幸さん(2023年入社)
スポレッシュ太田店
重量挙げ


「絆」大切にする社風実感
仕事をしながら競技を続けられる環境を探していた時に出合ったのがネクサスでした。Dステーション1号店がある沼田市が地元で、おじいちゃんが遊びに行くのを子どものころから見ていたので、身近だったことも決め手になり、入社を決意しました。
 まだ入社して4か月余りで分からないことばかりですが、スタッフ同士が助け合い、熱心に仕事に打ち込んでいる姿を見て、社名の通り「絆」を大切にする会社なのだと実感しています。

感謝の言葉やりがいに
仕事は受け付けでのフロント業務が中心ですが、ジムでの研修も始まり、徐々にできる仕事が増えてきました。先輩だけでなく会員さんも温かく見守ってくれて、安心して成長できる環境に感謝しています。
実家がラーメン店で小さいころから手伝ってきたので、接客は好きでした。最近では顔を覚えて、話しかけてくれる会員さんも増えてきてうれしいです。会員さんにトレーニング方法を提案した際に「いいメニューだったよ」と感謝してもらい、やりがいを感じました。今後も「運動が楽しい」と思ってもらえるよう、役に立てる知識を身に付けていきたいです。

健康重視の新しい知識吸収
仕事を通して重量挙げで学べなかった健康を重視したトレーニング法や栄養について学ぶ機会もあります。新しい知識を得たことで、競技の練習効率や食事面での意識が高まったと感じています。
自己記録である120㌔(ジャーク)を超えることが直近の目標です。120㌔を挙げられれば、全日本選手権の表彰台も狙えるはずです。仕事と競技の両立は大変なことも多いですが、応援してくれる方に結果で恩返ししたいです。

座って笑うプライベートの女性重量挙げ選手②
'阿部 美幸'のイメージ写真

阿部 美幸

あべ・みゆき 2000年11月、沼田市生まれ。利根実高―金沢学院大卒。大学4年時に全日本大学対抗女子選手権76㌔級で優勝。昨年のとちぎ国体は71㌔級で3位。

赤いリボン
'vol2'のテキストタイトル文字
ネクサスの機関紙LP'SPORT-FUTURE'のフッターロゴ

「スポーツの感動が未来をひらく」―。
アミューズメント事業などを展開するネクサス(高崎市島野町)が、スポーツに情熱を注ぐ人々の思いを伝えるシリーズ企画。
「ネクサス スポーツ・フューチャー」。
2回目は2017年に企業内チーム「D’ステーション レーシング」を創設し、自らもレーサーとして、ル・マン24時間耐久レースなど国内外の大会に参戦する同社代表の星野敏(62)にスポットを当てた。

2023年6月4日公開 Vol.2

ネクサススポーツ機関紙、ネクサスフューチャーvol2表紙

会長「星野 敏」の肖像
緑色のリボン①

D’ステーションレーシング ドライバー

星野 敏

2022

FIA世界耐久選手権シリーズ
第5戦 6 Hours of Fuji 3位表彰台

2021

第89回ル・マン24時間耐久レース
6位入賞

【世界耐久選手権 第4戦 ル・マン24時間耐久レース参戦】
6月10日(土) 〜 6月11日(日)開催
ル・マンはF1シリーズのモナコ・グランプリ、米国のインディアナポリス500マイル(インディ500)と並ぶ「世界三大レース」に数えられる。1923年に初開催され、今年は100周年の記念大会。コースは全長約13㌔で、3分の2の区間が公道。D’ステーション レーシングはLMGTE-Amクラスで出場。星野敏、C.スティーブンソン、藤井誠暢のドライバー3人が交代しながら24時間の周回数を競う。

レーシングカーの白黒写真

時速200㌔の
世界に魅了

フランス・パリから南西に200㌔ほど離れたル・マンは6月、伝統の24時間耐久レースを観戦する世界各国のモーターファンで沸き返る。100周年の記念大会となる今回、D’ステーション レーシングは3度目の切符を手にした。「出場するだけでも名誉なこと。表彰台はとんでもなく難しいが、ミスせずに最後まで諦めずに走り続ければ上位進出の可能性はゼロではない」。10~11日の決勝レースを前に、静かな闘志を燃やす。


レースとの出合いは、48歳の時。仕事仲間に誘われ、富士スピードウェイを走ったことがきっかけだった。「初めて時速200㌔を体験し、魅力に取りつかれた。ライセンスを取得してサーキットを走っているうちに、いつか自分でもレースに出たいと思うようになった」。2013年にレースデビューすると、かつてフェンシングで世界を舞台に戦っていた現役時代のように負けん気に火が付いた。トレーニングを重ねて国内のレースに精力的に出場し、ポルシェカレラカップジャパン(ジェントルマンクラス)やスーパー耐久シリーズ(ST―1クラス)でシリーズチャンピオンに輝くなど、優秀な成績を残した。


「フェンシングをやっていた時から変わらず、勝負に負けると悔しい。だから努力するしかない」。経営者として多忙な日々を送る中でも毎日1時間のトレーニングは欠かさない。鍛え上げられた肉体は60代とは思えないほど引き締まっている。

青空の下を走るレーシングカー





青空とヘルメットを被ったドライバー

6位入賞に最高のレース

レーサーとして腕を磨く中で、抱き続けた一つの夢がある。それが世界耐久レースで最も過酷とされるル・マン24時間への参戦だ。過去の戦績などが評価され、D’ステーションーシングで初出場となった21年に念願だった完走と6位入賞を果たした。
「完走という最大の目標を達成することができ、最高のレースだった」。歓喜の瞬間を振り返る表情は、経営者として見せる厳しい顔とは対照的に、スーパーカーに憧れる少年のように輝いていた。

サーキット場を走るDstationのレーシングカー

目標への努力が成長に

ル・マンは1回の走行で約2時間、交代しながら1人で計6時間以上走り続ける。レース後は体重が2、3㌔も落ちるほど体力を消耗する。最高速度は時速290㌔にも達し、一瞬の判断の遅れやミスはタイムロスだけでなく、生死にもかかわる。肉体的にも、精神的にも厳しい勝負の世界に挑み続けるのには理由がある。
「レースは結果が出ないことの方が多い。いい走りができて表彰台に上れると、すごい達成感で『頑張ってきて良かった』と心から思える。これは仕事でも同じ。社員たちは売り上げの目標を持って日々努力しているが、実現できないことの方が多い。けれど、目標に向かって努力することにこそ価値があり、その努力が成長につながっている。だからこそ、諦めずに最後まで走り続けることで、挑戦し続けることの大切さを伝えたい」。
日本から応援してくれる社員たちの思いを背負い、世界に「D’ステーション」の名を轟かせるべく、節目のル・マンを走る。

'Vol.2 fin'の文字
緑色のリボン①
ネクサスの機関紙LP'SPORT-FUTURE'のフッターロゴ

「絆」を社名の由来に込め、アミューズメント事業などを展開するネクサス(高崎市島野町)はフェンシングチームのほか、世界を転戦するレーシングチームの活動に力を注ぐ。
夢に向かって挑戦する有望なアスリートを支援するため、スポーツ振興財団も設立。「スポーツの感動が未来を拓く」-。
シリーズ「ネクサス スポーツ・フューチャー」でその思いを伝える。
初回は、同社代表の星野敏(61)と同社所属でフェンシング男子エペ日本代表の見延和靖(35)が熱い思いを語った。

2023年4月2日公開 Vol.1


会長「星野 敏」の肖像
赤いリボン①

NEXUSグループ代表

星野 敏

元フェンシング全日本チャンピオン

(男子個人フルーレ)
赤いリボン②
語りかける会長「星野 敏」の白黒写真

剣とマスクを久しぶりに手にすると、自然と眼光が鋭くなる。フェンシングに人一倍の情熱を注ぎ、かつて世界の舞台で戦ってきた。


小学6年でフェンシングと出合い、沼田高時代に全国大会を経験。法政大4年時には全日本選手権とインカレを制した。1985年からは3年連続で世界選手権にも出場したが、27歳で迎えた88年の日本代表選手選考会で敗れ、あと一歩で夢舞台への切符を逃した。「日本で一番練習したという自負があった。これで負けたら仕方ない」。競技人生に区切りをつけた。


家業の運送業を継ぎ、新規事業としてパチンコ業界に進出。「フェンシングと同じで、商売も駆け引きが大切」と、培った勝負強さで事業を拡大していった。今や従業員1600人、年商2500億円の大企業へと成長させた。


経営者として多忙な日々を過ごす中、気にかけていたことがあった。「有力選手でも大学卒業後に競技を続けられる環境がない。自腹で海外遠征に行く選手もいた。受け皿として世界で戦う選手の夢を支えたい」。そんな思いで2009年、ネクサスフェンシングチームを創設。翌年、入社してきたのが見延だった。安定した環境で精進を重ね、世界の数々のトップクラスの大会で目覚ましい活躍を続けた。


「日本人が世界大会で金メダルを獲得する日が来るとは…。いまだに信じられない」。自身の選手時代には想像もできなかった夢を、最高の形で恩返しされた。


結ばれた剣の絆。これからも夢の続きを支える。

上向きで未来を見据える「星野 敏」の白黒写真
フェンシング金メダリスト「見延 和靖」の肖像
赤いリボン③

NEXUSフェンシングクラブ

見延 和靖

フェンシング男子エペ日本代表

(世界大会金メダリスト)
赤いリボン④
プライベートの「見延 和靖」の白黒写真

世界のトップアスリートに上り詰めてからも、その視線は新たな目標を見据えている。「誰も達成できていないことを成し遂げることに価値がある」。まだ見ぬ頂を目指し、世界を転戦している。


父親の勧めで故郷福井県の武生商高で始めたフェンシング。法政大時代に主要タイトルを総なめにするなど活躍し、学生時代から日本代表として世界でも戦ってきた。


卒業後の2010年にネクサス入社。同期社員とともに新人研修に参加、パチンコホールにも立った。「お客さまに楽しい時間や空間を提供するために努力している同期たちの姿を見て刺激を受けた。自分もフェンシングを通じて、見ている人にワクワクを届けるのが使命だと感じている」


世界で競技人口が最も多く、「キング・オブ・フェンシング」と呼ばれる種目のエペで日本人初の世界ランキング1位を獲得するなど、世界の第一線で活躍を続ける。これまでの快挙を、「一人では決して成し遂げられなかった。世界トップレベルで活躍してほしいという星野代表ら支えてくれる人たちの熱い思いが背中を押してくれた」と振り返る。


躍進する日本フェンシング界。第一人者として競技人口のすそ野拡大も意識する。「先輩たちから受け継いだたすきを未来につなげることが役目。子どもたちの可能性は無限大と感じる」


今日もお客さまの笑顔のために一生懸命に働く仲間の姿を知っているからこそ、「負けられない」。世界の誰もが認める「史上最強のフェンサー」を追い求め、さらなる高みを目指す。

競技中の「見延 和靖」の白黒写