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「絆」を社名の由来に込め、アミューズメント事業などを展開するネクサス(高崎市島野町)はフェンシングチームのほか、世界を転戦するレーシングチームの活動に力を注ぐ。
夢に向かって挑戦する有望なアスリートを支援するため、スポーツ振興財団も設立。「スポーツの感動が未来を拓く」-。
シリーズ「ネクサス スポーツ・フューチャー」でその思いを伝える。
初回は、同社代表の星野敏(61)と同社所属でフェンシング男子エペ日本代表の見延和靖(35)が熱い思いを語った。

2023年4月2日公開 Vol.1


会長「星野 敏」の肖像
赤いリボン①

NEXUSグループ代表

星野 敏

元フェンシング全日本チャンピオン

(男子個人フルーレ)
赤いリボン②
語りかける会長「星野 敏」の白黒写真

剣とマスクを久しぶりに手にすると、自然と眼光が鋭くなる。フェンシングに人一倍の情熱を注ぎ、かつて世界の舞台で戦ってきた。


小学6年でフェンシングと出合い、沼田高時代に全国大会を経験。法政大4年時には全日本選手権とインカレを制した。1985年からは3年連続で世界選手権にも出場したが、27歳で迎えた88年の日本代表選手選考会で敗れ、あと一歩で夢舞台への切符を逃した。「日本で一番練習したという自負があった。これで負けたら仕方ない」。競技人生に区切りをつけた。


家業の運送業を継ぎ、新規事業としてパチンコ業界に進出。「フェンシングと同じで、商売も駆け引きが大切」と、培った勝負強さで事業を拡大していった。今や従業員1600人、年商2500億円の大企業へと成長させた。


経営者として多忙な日々を過ごす中、気にかけていたことがあった。「有力選手でも大学卒業後に競技を続けられる環境がない。自腹で海外遠征に行く選手もいた。受け皿として世界で戦う選手の夢を支えたい」。そんな思いで2009年、ネクサスフェンシングチームを創設。翌年、入社してきたのが見延だった。安定した環境で精進を重ね、世界の数々のトップクラスの大会で目覚ましい活躍を続けた。


「日本人が世界大会で金メダルを獲得する日が来るとは…。いまだに信じられない」。自身の選手時代には想像もできなかった夢を、最高の形で恩返しされた。


結ばれた剣の絆。これからも夢の続きを支える。

上向きで未来を見据える「星野 敏」の白黒写真
フェンシング金メダリスト「見延 和靖」の肖像
赤いリボン③

NEXUSフェンシングクラブ

見延 和靖

フェンシング男子エペ日本代表

(世界大会金メダリスト)
赤いリボン④
プライベートの「見延 和靖」の白黒写真

世界のトップアスリートに上り詰めてからも、その視線は新たな目標を見据えている。「誰も達成できていないことを成し遂げることに価値がある」。まだ見ぬ頂を目指し、世界を転戦している。


父親の勧めで故郷福井県の武生商高で始めたフェンシング。法政大時代に主要タイトルを総なめにするなど活躍し、学生時代から日本代表として世界でも戦ってきた。


卒業後の2010年にネクサス入社。同期社員とともに新人研修に参加、パチンコホールにも立った。「お客さまに楽しい時間や空間を提供するために努力している同期たちの姿を見て刺激を受けた。自分もフェンシングを通じて、見ている人にワクワクを届けるのが使命だと感じている」


世界で競技人口が最も多く、「キング・オブ・フェンシング」と呼ばれる種目のエペで日本人初の世界ランキング1位を獲得するなど、世界の第一線で活躍を続ける。これまでの快挙を、「一人では決して成し遂げられなかった。世界トップレベルで活躍してほしいという星野代表ら支えてくれる人たちの熱い思いが背中を押してくれた」と振り返る。


躍進する日本フェンシング界。第一人者として競技人口のすそ野拡大も意識する。「先輩たちから受け継いだたすきを未来につなげることが役目。子どもたちの可能性は無限大と感じる」


今日もお客さまの笑顔のために一生懸命に働く仲間の姿を知っているからこそ、「負けられない」。世界の誰もが認める「史上最強のフェンサー」を追い求め、さらなる高みを目指す。

競技中の「見延 和靖」の白黒写

次回vol.2は6月4日公開予定

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